2026年
新年の所感
本当に何もやりたくない。憂鬱な1年が始まった。
何にもやりたくない。
でも、そうはいかないんだよなぁ、結局無理して合わせるしかないんだよな、人間として生きるためには。
心の底から憂鬱なのである。新年、4日経ってやっと文章にできた。この媒体も半年ずるずると引きずって、結局中途半端な状態でデプロイした。
今年も、焦燥感に煽られないと何もできないのだろう。
その焦燥感すら効果がなくなっていて、期限スレスレを低空飛行している(たまに墜落するが)。明らかにダメである。人としてダメである。
本当に不思議なもので、頭は動いているのに手は動かない。何なんだろうあれは。時間があってもなくても関係ない。今までそんな話を聞くたびに怠けだと思ってきたが、いざ自分がその立場になると、この無力さに絶望する。本当に体が動かない。
最終的には怒りとストレスで体を動かす。動けない自分に対する怒りと、社会からの離脱を想像する脳の働きが辛うじて体を動かしてくれる感覚。何だこれ。 まぁでも当たり前の話だ。成果を出せなければ、自分の人生が終わるだけでなく、多方面に迷惑をかけることになる。
解決方法を考えれば考えるほど辛く、何もやりたくなくなる。一発誰かを殴れば解決するものなのか?
2025年の振り返り
1年間、たくさんのことを経験させてもらった。
関係者各所、本当に感謝している。
憧れていた場所で働かせてもらい、大先輩たちとイベントを開催し、数年前の自分では想像もできなかったような経験を数多く積むことができた。
一方で、非常に悔しく、自分自身が腹立たしい。
これまでの人生では考えられないほど頭を使い、注意を払い、神経をすり減らした結果、自分の限界をはっきりと感じてしまった。思慮の浅さ、他人への冷淡さ、浅はかさ、視野の狭さ、教養のなさ。そのすべてにおいて、自分がこの世の底辺であることを、人生で最も強く自覚した一年だった。 過去の自分の思考やアウトプットは全てゴミのように思えたし、頭はフルで動いているのに、体は動かない、そんなことが日常茶飯事になった。 自分はこんなもんかと絶望した。ミスも今まで以上に増えたし、注意散漫になった。たくさんの人に迷惑をかけ、失望を与えたことだろう。大切な人間関係も失うことがあった。 自分自身に、非常にイライラしている。とても腹立たしい。 だからといって、慰めてほしいとは思わないし、受け入れてほしいとも思わない。そんな自分を受け入れるような人に好かれたいとも思わないし、むしろ大嫌いである。悪寒すら走る。 理想とする姿には一歩も届いていない。
「多様性」や「ありのまま」、あるいは「KAWAII」といった言葉の乱用にも、自分は惑わされてきたと感じている。 そもそも、向上心(生きることに対する熱量とでも言えるだろうか)の無い人が何かを得ることはありえないと考えている。「何か」とは、人からの信頼や愛情、自己実現など、あらゆるものだ。 多様性や、ありのままの自分を言い訳にし、「そんな私でもエネルギーを使わずに欲しいものを手にしたいんです」というあまりにも意味が不明すぎる人をたくさん見てきた。ありのままの自分を受け入れるということは、リアリズムから逃げないということであり、現実逃避の道具にしてはならないはずだ。 別に、他人がどんなマインドで生きていようとどうでもいいし、僕自身が彼らを排除することはしない(それは僕自身にとっての多様性を尊重することである)。 だが、何かを与えたいとも思わないし、無関心であるということに変わりはない。 ここで生じる腹立たしさは、自分自身がそのような人たちと一緒に時間を使っていることに対する、自分自身に対する腹立たしさである。俺は何をしているのか? このような人たちに使う関心/時間/金/エネルギーに余裕はないはずだ。にもかかわらず、低レベルと比較した際の安心感や優越感的な、低俗な欲に騙され、無駄にしてしまう。非常に腹立たしい。絶望だ。この世に無駄な経験はないが、無駄だと判定した後の経験は無駄である。
冷めた人や的外れな人にも、自分は振り回されてきた。 冷めているのに文句や批評が得意な、熱を奪う冷めた人。あまりにも多い。他人の欠点しか見ず、誰にでも必ず存在するはずの良い点を見ようとしない人たちだ。良い点のない生き物は、少なくとも人間ではないはずなのに、である。個人的には、そのような人たちもまた人間ではないと思っている。 本当に苛立っているのは、そうした人たちに引きずられてしまう自分自身である。他人と比べたり、他人の言葉や文章に惑わされたり、誘惑に負けてしまう、弱い自分である。 冷めた人に魅力などない。現代社会は資源が非常に安定しており、獲物を狩に行かなくても十分なカロリーを摂取できるし、突然襲われうことなく安心して生活できる(少なくとも2025年の日本では)。ただそれは永遠に続くのだろうか? 人間として”魅力的”だろうか? もちろん、人それぞれである。その上で、少なくとも僕には魅力的には映らない。生きるためには何が必要なのか?、人生を通して何を成し遂げたいのか?、自分を取り巻く共同体はどうあるべきか? 何のために生きているのか? …、 生命や自分の存在について果てしない問いを追い求め、自己実現に向けて動き、常に疑いの念を持ちながら、生き生きとしている人の方が魅力的である。そんな人が好きだ(確信しか持ってない奴は嫌いである、個人的には)。友情においても恋愛においても、僕の人間関係はすべて、この価値観の上で成り立っている。
では、僕はどう生きるべきか?
知らん。
本当に何もやりたくない。
とにかく今年は憂鬱だ。以上。